
自分の見た目を誰かと比べてしまう。
芸能人みたいな、いわゆる美人と比べて
自分のここが嫌い、ここもあそこもどこも嫌い!
まるで嫌い。
歳をとるにつれて嫌い。
痩せられない自分も嫌い。
何していいかわからない自分も嫌い。
なんと( ; ; )
あなたが、かわいそう。

そう思いませんか?
ずっと生まれた時からあなたと一緒にいる、その肉体。
なんか知らんけど他と比べられて、劣っていると決めつけられて、嫌われる。
私自身、ずっとそうやって比べて嫌って生きてきました。
容姿には小さい頃から全然自信はなかったけど、決定打は二十歳の成人式の前撮りでした。詳しくは↓
そんな私ですが、「見た目」を主に取り扱う写真撮影を仕事にしてもう8年とかになるんです。いろんな人を見てきて、またたまに自分の写真を撮ったりして、変化してきたことがあります。
たくさんあるんですけど、とりあえず
「自分のこと、好きでも嫌いでも、どっちでもえーわ」
です。どっちでもいいから、
「で、自分はどうしたいんや?」そこを叶えることに心を尽くすようになりました。
好きとか嫌いとか、曖昧だから、好きになってもらおう!嫌ってちゃだめ!と言うのをやめた。もうどっちでもいい。
そんな自分のまま、この世界で、どんなふうに生きていたいのか
それが実現できる喜びの方を伝えたし、自分の思うように生きてほしい。
「見た目」で自分の可能性を閉ざすことが一番
わたしにとって「いや」で「もったいない」ことなんだとはっきり自覚しました。
最近読んだこちらの本(とっても面白いですよ)でさらに思ったんです。
もうちょっと、自分の見た目との対話も必要だと。
一方的な好き嫌いをぶつけるのではなく、目に写る自分の姿とコミュニケーションをとってみる。
ふわっとしたことが言いたいのではなくて、例えば、「髪が癖毛で扱いづらく嫌いだ」「どんな手入れをしてもうまくいかないぜ」とぶつけて終わるのではなく、もっと聞いてみる。「ホワホワしてまとまらないのは、なぜ?」みたいに。笑。もしかしたら、「ちょっと油分足りてへんで〜」とか「これはこれで気に入ってるねん」みたいに髪の声が聞こえてくるかもしれないし、聞こえないかもしれない。
どっちでもいいんですけど、「もーなんで癖毛なん。直毛がよかった、サイテー」なんて悪態をついたり、自分の心と肉体を完全に切り離してコントロールしようとするのではなくて、もうちょっと寄り添ってみる。耳を傾けてみる。
自分の意識は、Googleで「ヘアケア 癖毛」とか「癖毛 美容院 おすすめ」「癖毛をいかす ヘアスタイル」みたいに調べられるじゃないですか。
そんなふうに、勝手に何かを諦めるのではなくて、肉体の個性も知りつつ、「こうありたい自分」を目指していく。
私はふわふわするタイプの癖毛なのですが、1年間髪を育てると決意し、2020年毎日せっせと育てた結果、「絶対治らんのやろな」と思ってた髪質が変わりました。
https://38bibi.amebaownd.com/posts/7859405
今他に、お肌もまつ毛も育ててます。
その作業が楽しいし、少しずつ変化していく自分の姿を見ると、とても嬉しい。「もう自分はここまでだから」と思っていたら、一生出会えなかったと思う。
と言うわけで、ここで写真の話になるんですけど、自分の外見を客観的に見つめるツールとして、「写真」って素晴らしいツールです。
目的地(こうありたい自分)があっても、現在地(今の自分)をちゃんと把握していないと、どの道を辿ればいいかわからないですよね。
なので、例え怖くても、きちんと自分の姿を撮ることは大切なのです。
自分の写真を撮って、ちゃんと見つめてあげるだけで、人生変わります。
わたしはそうでした。